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                          久高 友雄  
                1963年(昭和38年)3月14日、大阪に生まれる。
                1986年、G大阪の前進である松下電器入り。
                1991年天皇杯優勝など輝かしい実績を残す。
                1994年に当時C大阪に移籍してJリーグ昇格に貢献。
                Jリーグでは2シーズンでリーグ戦36試合に出場。1得点。
                1995年には現役を引退し、C大阪ユース監督などを経てサッカースクールのコーチとなる。
                1999年9月22日、36歳の若さでこの世を去られました



     ★★久高さんと大阪セントラルFC★★
まず、「久高ファミリーカップ」とはなんなのか?ご存知でない方も多いと思います。
 久高さんの理念である‘‘家族そろって楽しむサッカー!‘‘に基づいてファミリーカップを行っております。毎年、久高さんの命日に近い休みの日にセントラルみんなで久高さんのことを思い出し、サッカーを楽しみましょうというイベントです。
 久高さんがJリーグを引退し、セレッソのサッカースクールコーチになってから、2〜3年間サッカー教室などで桐畑と交流がありました。そんな時に久高さんが長男の友成くん(当時3年生)と次男の健太郎くん(当時1年生)をセントラルに入れたいという話がありました。その友成くんも6年間セントラルで頑張り今や中学3年生となり、4月から高校サッカーへと巣立つことになりました。
 また皆さんはセントラルバスをご存知でしょうか?中学生の練習時の送迎や遠征などに使われています。そのナンバープレートの番号は何番でしょうか?実は奥の深〜いこだわりがあるんですよ!答えは16なんですが、久高さんの選手時代の背番号なんです。ちなみに友成くんの背番号も・・・と言いたいところなんですが「88」なんです。でも8+8でなんと16なんですよ。そういうこだわりも持っています。
 久高さんとセントラルとの共通する理念は‘‘サッカーを楽しもう!!‘‘ということです。毎年行われているファミリーカップは勝敗よりもみんなが楽しめるイベントを目標としています。セントラルのチームコンセプトである‘‘一生サッカー!‘‘をしていくには、サッカーを楽しむことがまず一番だということですね!!


     ★★久高さんエピソード★★
 久高さんはJリーガー時代・引退してからもよく飲み友達などとカラオケに行っていたようです。桐畑代表から聞くと3つの持ち歌があると聞きましたのでちょっとご紹介を!
 まずは、久高さんがJリーガーの時に所属していたガンバ大阪の監督であった釜本さんへささげる歌があったようです。それはたかじんの「なめんなよ!」です。この意味、私にはよくわかりませんが監督・選手の間にはいろいろありそうですからね〜。この話はさっと流しておきましょう!
 次に、現役を引退しセレッソユースの監督をされていたのですがこの時病気を患ってしまいました。その後セレッソサッカースクールのコーチとして復帰されました!そしてこれは自分の曲です!と当時「電波少年」という番組からデビューしたサムシング・エルスの「ラストチャンス」を歌っていたそうです。。久高さんは復帰し、これが最後のチャンスだと精一杯頑張っておられました。
 最後に生涯通して一番の久高ファンであり高校時代から現役時代も引退後・闘病生活時もずっとそばで支えてこられた奥さんへささげる歌があったようです。それは、ウルフルズの「バンザイ!」です。この曲からもわかるように奥さんのことを本当に愛し、感謝しておられたんでしょうね!かっこよすぎますよね!
 3曲紹介しましたが、その他久高さんに何を歌わせてもかなりうまかっみたいですよ!


                    久 高  友 雄 写 真 集

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